教会は政治について語る

教会は政治について語る

カテゴリー カトリック時評 公開 [2012/05/25/ 00:00]

一切の人間的な事柄に関心を持つ教会は、第2バチカン公会議の現代世界憲章第二部第4章において政治について語った。政治は教会の所管事項ではないが、その意味と目的について教えることは教会の使命だからである。

時代の進展とともに政治の世界は大きく変貌しつつある。公会議は、「文化的、経済的、社会的進歩」と表現し、同時に、人間の尊厳とその基本的権利についての人びとの意識が進歩したと述べる。そのため、政治の世界はますます複雑かつ広範となり、ますます「困難であると同時に最も高貴な政治の技術(ars nobilissima)」を必要としてきた。混沌とした日本の今の政治状況を見ても、公会議の見解は了解できる。そこで、今に通用する公会議の政治についての発言をわたしなりに要約して見よう。

1-政治共同体としての国家

公会議はまず、「政治生活」と言わないで「政治共同体の生活」と表現した。国家を政治共同体と呼んだのである。「共同体という用語のほうが国家という表現よりももっとよく政治社会が人間の組織団体であることを現すと同時に、社会の法的面よりも実存的な面を強調するものである」(レオ・エルダースの解説)。実際、国家が共同体である以上、国民全員が参加して、それぞれの能力と立場に応じて国に貢献し、同時に、国によって国民一人一人が生かされるよう、その恩恵が公平に配分されるのでなければならない。

2-政治参加の要件

そのため、公会議は国民全体がふさわしく政治共同体に参加するための心構えとして次のように述べる。「真に人間にふさわしい政治生活を樹立するためには、正義感と親切心と共通善に対する奉仕の精神を養い、政治共同体の真の性格、および公権の目的、その正当な行使、そしてその限界に関する基本的確信を強めることが最も重要である」(現代世界憲章73)。

正義感とは国民一人に一人の人格の尊厳とその基本的人権を認め擁護する感覚であり、親切心とは私心を捨てて人のために尽くす心構えであり、奉仕の精神とは文字通り公共のために奉仕する精神のことである。そのうえで、政治共同体の真の目的を理解すると同時に、政治権力の正しい行使とその限界を認識する必要がある。

3-政治共同体の目的

公会議は「政治共同体の目的は共通善」であり、共通善とは「個人、家庭、団体がそれぞれの完成に、より完全に、より容易に到達できるような社会生活の諸条件の総体である」と述べる(現代世界憲章74参照)。人間らしく生きて幸せになるために必要な条件を満たすためには、個人や家庭や民間の諸団体の力には限界があるので、より大きな規模と力でその不足を補い補完するために国家という政治共同体があるという認識である。

国家がこの使命を十分に果たすためには政治権力が必要であると公会議は述べる。公権はもっぱら国民の共通善のためにあるのであり、共通善に奉仕する限りにおいて公権は正当であり、それ以外に公権の出番はない。公会議は政治の限界について述べる。「市民の自由または信教の自由を妨害し、共通善のためではなく党派や統治者自身の利益のために権力を曲げて行使することは、排斥される」(同73)。

4-政治共同体と教会

簡単に述べる。「教会の任務と権限から考えて、教会と政治共同体とは決して混同されるべきではなく、教会はどのような政治共同体にも拘束されてはならない。…政治共同体と教会はそれぞれの分野において互いに独立しており、自律性を持っている。しかし、両者は、名目こそ違え、同じに人びとの個人的、社会的召命に奉仕する」(同76)。その意味で、政治共同体と教会はその使命において相互補完的な関係にある。

したがって、教会は、その宗教的使命を果たすことを通して国民に奉仕する。教会固有の活動自体が国民への貢献なのである。しかし信徒の場合は、在俗のキリスト者としての召命によって、教会としてではなく、個人または国民の名において直接政治に参加し、キリスト教的良心をもって自由に政治活動を行うことができるし、また行なわなければならない。