第2バチカン公会議の歴史的意義

糸永真一司教のカトリック時評 > カトリック時評 > 第2バチカン公会議の歴史的意義

第2バチカン公会議の歴史的意義

カテゴリー カトリック時評 公開 [2012/10/25/ 00:00]

さる10月11日、カトリック教会において第2バチカン公会議開幕50周年を記念する「信仰年」が始まった。公会議は、カトリック教会においてばかりでなく、全世界にも重大な意味をもつ一大イベントであって、無視できない催事であった。

はじめに、公会議が何であるかを簡単に説明しておこう。公会議(Concilium Oecumenicum)とは、教皇の招集に基づき、教皇を議長として、信仰・道徳に関して権威ある決定を下すための世界司教団の盛式会議であって、教皇の裁可を得て公布された公会議決定は全教会を拘束するものとなる。ただし、世界の司教団全員の参加を必要とせず、全教会を代表すればよい。第2バチカン公会議においては、文字通り全世界から司教たちが集まったのであるが、共産圏の司教たちの多くは参加できなかった。

これまでに、公会議は325年の第1ニケア公会議を初めとして20回開かれ、今から50年前の1962年10月11日に開幕した第2バチカン公会議は第21回目の公会議である。今回の公会議を召集した教皇ヨハネ23世は、開会演説でこの度の公会議の意義を次のように強調した。すなわち、「教会の主要な教えのいくつかを討議することではなく」、「確固不動の教え、すなわち信仰の遺産を、現代の要求する方法で探究し説明することである」と言う。その現代とは、科学技術の高度の発達と経済的繁栄の中で人心は荒廃し、互いに分裂して相争っており、多くの人が精神的な癒しと慰めを切望しているとして、教皇は強調する。

「教会は現代人に、はかない富と地上だけの幸福を追求するのではなく、天上の恩恵のたまものを与えるのです。このたまものは、人間を神の子の品位に高めるもので、人々の生活を人間にふさわしいものとするための、強い砦となり助けとなるものです。教会はまた、豊かな教えの泉を開いて、人がキリストの光に照らされて、人間とは何か、その尊厳その目的を知ることができるようにします。そのうえ教会は、教会の子たちを通して、あらゆるところにキリストの愛を広めます。不和の種を取り除き、人々の間の心の一致と正しい平和と、すべての人の兄弟的一致を促すうえで、これに勝るものはありません」と。

教皇はさらに、キリストの愛がもたらす一致について言う。「これに対応するのがまず第一に、カトリック信者間の一致です。この一致はもっとも固いものとして、また模範として守られるべきものです。第二は、この使徒座から分かれている兄弟たちが、わたしたちと一つに結ばれることを求める敬虔な祈りと熱烈な望みからなる一致です。第三は、いまなおキリスト教と異なる他の宗教の信奉者がカトリック教会に対して示す敬意と評価の上に成り立つ一致です」。

ここに示された人類の一致は、まさにキリストの悲願であり使命であった。ヨハネ福音書が言うとおり、キリストが十字架上で命をささげたのは「散らばっている神の子らを一つに集めるため」(ヨハネ11,52)であった。そして、人類の一致と平和をもたらすのは、命をかけた「神の子キリストの愛」以外にはありえない。愛は人々の交わりと一致をもたらすが、人間の愛は弱く、人類の一致を回復するまでの力がない。これに比べ、キリストの愛は「神の愛」であり、人類の分裂を招いた罪をあがなってその一致と平和をもたらしたのである。教会は、あらゆる許された現代的な方法を通して、人類のあらゆる階層にキリストの愛をもたらし、そこに一致と平和を取り戻すために、公会議を開いたのである。

このように、第2バチカン公会議は「現代の人類のために」開かれた。公会議は様々な教会内の刷新を断行したが、それは、人類に対する使命に備えるためである。そのため、ローマ教会から分かれたキリスト教諸教会や教団の代表者ばかりでなく、諸宗教の代表も「オブザーバー」として公会議に招かれた。その意味で、当時から世界中の人々が公会議に注目したのであって、その開幕50年を記念する今年も、世界中の人々に第2バチカン公会議を想起させ、その意義を強調しなければならない。そして一人でも多くの人が「キリストの愛」に触れ、キリストの愛にあずかれるように、教会の新たな取り組みが期待されているのである。