道徳の教科化は必要か

道徳の教科化は必要か

カテゴリー カトリック時評 公開 [2013/03/25/ 00:00]

政府は去る1月、「21世紀にふさわしい教育体制を構築し、教育の再生を実行に移していくため」として「教育再生実行会議」を内閣府に設置したが、同会議は去る2月26日、いじめ対策の提言を首相に提出した。

この提言の中に、「道徳の教科化」がある。果たして道徳の教科化は必要か。わたしは、「人の道」を教える道徳教育は人間教育の根本であって、家庭であれ学校であれ、すべての教育の場で道徳教育は必要であり、特に、心の立法者である神を畏れない世俗化の時代、精神的な弱さと内外の誘惑、それに誤った価値観が渦を巻く現代においてはなおさらである。しかし、こんな重要な問題が公に議論されることもなく、政治主導で、拙速に決められようとしている。そこで、道徳教育の基本についていささか論じてみたい。

そもそも人間の自由な行為には責任が伴う。つまり、人間の自由行為には善か悪かの倫理性が問われるのである。このことについて、『カトリック教会のカテキズム』は次のように指摘している。

「自由は人間を倫理的主体とする。考慮した上で何かを行うとき、人間はいわば自分の行為の父(生みの親)となる。人間的行為、すなわち良心に基づいて自由に選択した行為は、道徳的な性格を帯びることになる。そのような行為は善い行為、あるいは悪い行為である」(1749番)。

そもそも道徳生活は理性を備えた人間の精神的・内面的な生活であって、人生全体と個々の行為の善悪を識別し判断して、自由意志をもって行動することを意味する。したがって、道徳教育の基本は、各人の「良心の形成」とその裏付けとなる「神体験」の二つである。

道徳生活の基本となる良心の形成と神体験は、幼児期から小学校の低学年にかけて基礎が築かれる。すなわち、幼児期から小学校低学年にかけて人間の理性とその善悪の判断である良心が芽生え、成長するからである。しかし、人間は人間性と同時に「野生」も育ってくるから、野生を抑えて人間性を育てるのが人間教育であり、その中心が良心の形成であって、そのためには厳しい「しつけ」が必要とされる。幼児期の教育は「一に愛情、二に厳しさ」言われるゆえんである。

良心の形成と同時にその裏付けとして不可欠なのは「神体験」である。なぜなら、「良心の声は神からの心の声」と言わるように、良心の声は「心の法」として神に由来するからである。そして神体験は親とか幼稚園の先生とか、ともかく子どもの教育に当たる大人の祈りに接することと通してなされる。つまり、祈りの先には目には見えないけれど偉大な存在があることを心に感じるからである。祈りのある家庭、祈りを教える幼稚園や保育所は、幼児にとって優先的な「神体験の場」となるのである。

こうして、聖書の次の言葉が実現する。「神の畏れは知恵の初め」(箴言1,7)。神を畏敬しない者には、良心に従って生きる責任感が生まれないのではないか。「応答する能力」としての「責任」は、良心の声の背景に立法者である神があって初めて成り立つからである。要するに、真理(神)に基づいて迷いのない正しい良心を育てることが道徳教育の基本であることを教育再生実機王会議は心得てほしいと願う。

次に、小学校高学年から中学生にかけての道徳教育の基本は「人権教育」であると言ってよい。次第に大人になっていく子どもは、やがて広い社会に目覚め、社会生活の重要性を知るにつれ、人間関係のルールを学んで行かなければならないからである。社会生活においては、人間人格の尊厳とその基本的人権についての認識が重要となる。ここに言う「人格の尊厳」とは神によって神に向けて創造された人間の「超越的尊厳」のことであって、この尊厳は「神聖にして不可侵」である。そして人間には、人間らしくその尊厳を生きるすべての条件を享有する権利、すなわち「基本的人権」がある。この人格の尊厳とその基本的人権の実現は「共通善」と呼ばれる。あらゆる差異を超えて、世界中のすべての人に保証すべき「善」だからである。

ここに言う共通善を実現するものは「真理、正義,愛、自由」である。人格の尊厳と基本的人権を認めることが「真理」、それらを擁護し実現するのが「正義」、正義を行う動機が「愛」、そしてその行為は「自由」でなければならないというわけである。有名な教皇ヨハネ23世の不朽の回勅『地上の平和』で、この「真理・正義・愛・自由」は世界平和を支える四つの柱として強調されたことは周知のとおりである。

要するに、すべての政治・経済・社会の目的は共通善である。共通善の実現のために、強い正義感と温かい愛の心を育てることが、道徳教育のもう一つの鍵であることを、「教育再生実行会議」には分かっていてほしいと思う。正義と愛は社会倫理の両輪であって、現実には正義の主張はあっても愛がないために、社会正義はなかなか実現しないからである。