全国学力テストの公表問題

糸永真一司教のカトリック時評 > カトリック時評 > 全国学力テストの公表問題

全国学力テストの公表問題

カテゴリー カトリック時評 公開 [2013/11/25/ 00:00]

先日来、全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)の調査結果の公表問題に関して多様な議論が交わされているが、総体的に後ろ向きの議論が多いのではないか。結果公表がもたらすマイナス面より、もっと前向きの考えはないものか。

小・中学校の教育は人生における基礎教育であり、子どもたちの将来を決定づけるほどの重要性があると思うが、それだけに、さまざまな障害や危険が待ち構える世間の荒波に耐える強靭な人格を形成する必要がある。したがって、児童・生徒は厳しい現実に直面することを学ばなければならない。「無菌状態」での「温室育ち」の「箱入り娘(息子)」では、将来が危ぶまれる。

そこで、まず、全国学力調査の結果の公表を差し控えるべきではないことを強調したい。マイナス面より、積極的な効果を期待すべきだからである。積極的な効果とは、教師たちも児童・生徒にも、示された学力調査の結果に真正面から向き合い、それをどう評価し、どう今後に生かすかを考察して、児童・生徒の徳育に生かすことである。

周知の通り、全人教育は知育、徳育、体育の三者から成り立つ。学力は三者の一つ、「知育」に関するものであり、学力だけで児童生徒の成長を図るべきではない。それより、示された調査結果に対応する中で、徳育を教慮して、厳しい現実に立ち向かう能力や徳性を養う機会とする必要がある。そのための手段として、例えば、道徳生活の基本となる四つの枢要徳、すなわち、賢明、正義、勇気、節制の四項目にしたがって考察することができよう。

ここで、「徳」とは、善を行う堅固な習性である。徳は、行為する人に単に善を行うことだけではなく、善をよりよく行うことを可能にする。有徳の人は感覚的かつ精神的な力のすべてを尽くして善に向かう。そして、具体的な行為において善を追求し、善を選択する。

わたしたちの行為を統御する知性と意志の堅固な態度、安定した傾向、習性となった完全さである人徳は、理性に基づいてわたしたちの欲望を統御し、生活を方向付ける。こうして、人徳は、自制心をもって容易に、そして喜びをもって、善い生活を送らせる。人徳は人間の力で習得できるものであるから、児童・生徒は学校生活を人徳を身につける機会としなければならないのである。

 数ある人徳の中で、要となる者が枢要徳と呼ばれる賢明、正義、勇気 節制の四つの徳である。この四つの中でも,賢明の徳は、あらゆる状況の中で、わたしたちに必要な善を識別し、その善を行う正しい手段を選択する実践的な判断(実践理性)を提供する。中世のすぐれた哲学者であり神学者である聖トマスはギリシャの哲学者アリストテレスにならって、「賢明は行いの正しい基準である」と言う。賢明の徳は臆病や恐れ、表裏ある態度や偽善とは無関係で、基準と節度を示して他の諸徳をリードするから、「諸徳の御者」とも呼ばれている。

 全国学力調査について、教師も児童・生徒も、調査結果を前にしてこれをどう評価し、識別してこれにどう対応するかを賢明に考察しなければならない。そうすれば、学力調査結果が自分の人格を評価する絶対の基準ではないことと同時に、自分たちの学習意欲や学習方法などについて反省し、必要な改善策を講じる参考になることを発見するに違いない。そのうえで、何が正しい学習態度や方法であり、どんな勇気をもって改善に取り組み、そのために何を節制しなければならないかを学ばなければならないだろう。こうした一連の作業を通じて、教師も児童・生徒も一段と人格を向上ささせ、人徳を身につける機会とすることができよう。

道徳教育の教科は、先日述べたとおり、道徳規範をしっかりと教えるものであるが、道徳教育で学んだ人生の理想を追求して完成すべく、学校生活全体を通して、子弟ともども、賢く、正しく、勇敢に、欲望を制御しながら善き人生に挑戦しなければならないのである。こうした人間づくりの基本を忘れて学力偏重に走るならば、せっかくの修徳の機会を逸して、子どもたちの人生を台無しにする恐れがあろう。