永井隆博士、英国で映画になる
カテゴリー カトリック時評 公開 [2014/02/25/ 00:00]
朝日新聞(2月2日付)によれば、近く英国で映画になるという。永井隆博士(1908-1951)といえば、若原雅夫主演の映画「長崎の鐘」やその主題歌「長崎の鐘」(サトウハチイロー詩・古関裕而曲)を思い出す人もあるかも知れない。
新聞によれば、「監督は英バーミンガム在住の双子の映画監督、ドミニク・ヒギンズさんとイアン・ヒギンズさん。二人の監督は、永井博士の代表作『長崎の鐘』を英語版で読み、裏表紙にあった「永井博士はガンジーやキング牧師と並ぶ20世紀の偉人」という言葉を見て、「博士のことを伝えたい」と映画化を決めた。そして、長崎を訪れ、ドミニクさんは「自分のように他人を愛せ、という信念に感銘を受けた」と言い、イアンさんは「平和を願う博士のメッセージを若い世代に感じてほしい」と期待しているという。
わたしはこの映画化の話を嬉しく思うと同時に、永井博士のことをいろいろと思い出している。一つは、長崎公教神学校の中学生のころ、たしか昭和18年ごろだと思うが、長崎大学病院の放射線科で、永井先生ご自身から胸部のレントゲン写真をとっていただいたことがあった。また、終戦後間もないころ、神学校に来られた博士から原子爆弾の仕組みを、得意の漫画を描きながらわかりやすく教えてくださったことを思い出す。
映画監督のドミニクさんが指摘する「自分のように他人を愛する」という永井博士の信念は、言うまでもなく聖書から取られた神の言葉である。「律法学者の一人に、『全ての掟のうちで、どれが第一の掟ですか』と問われたキリストは答えられた。『第一の掟はこれである。“わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ”。第二の掟はこれである。“隣人をあなた自身のように愛せよ”。この二つの掟よりも大事な掟はない』」(マルコ12,28-31)。
神への愛と隣人への愛は「一つの愛」であって、実践面では隣人への愛が神への愛のしるしとなり前提となる。
それ故、「己のように隣人を愛する」という博士の信念はカトリック者としての証明でもあり、信者たちに贈られた小さな家を如己堂と名付けた理由でもある。博士は、長崎医科大学(当時)在学中、下宿していたキリシタン家族の敬虔な信仰生活に感銘を受け、生来の真理探究の精神も手伝ってカトリックの信仰に目覚めて、昭和9年(1934年)、洗礼を受け、隣人愛を実践する信徒の活動団体である聖ヴィンセンシオ会に入会した。聖ヴィンセンシオ・ア・パウロ(1581-1660)は隣人愛に尽くす愛徳に優れた司祭であって、聖ヴィンセンシオ会は1833年、聖人の模範を生きるオザナムによって創立された貧しい人々や病人に奉仕する信徒の活動団体である。当時、長崎ではヴィンセンシオ会は非常に活発に活動していた。
永井博士はこうしてカトリックの信仰を深めかつ実践して、原爆のあとには、レントゲン科の医師として放射能による白血病を患い、自ら被爆者でありながら、被爆者の救済のために奔走した。また彼自身、自ら体験した原爆の悲惨な実態を世に知らしめると同時に、隣人愛による世界平和を訴え続けた。一方、破壊された浦上天主堂の再建に取り組み、がれきの中から掘り出したアンジェラスの鐘を丸太を組んでつるし、クリスマスを期して打ちならした。これがいわゆる「長崎の鐘」である。博士はこんな歌を残している。
新しき朝の光のさしそむる
荒野に響け長崎の鐘
永井博士の偉大な生涯はまさに彼の信仰に由来するものであった。こんな思い出がある。わたしがカナダに留学中の1952年ごろ、「20世紀の改宗者」というフランス語の連載小冊子20冊を、モントリオール市内の書店で見つけて購入したのだが、その中の一人として永井博士が紹介されていたのである。昔のことで出版元など詳しいことは覚えていないが、ヨーロッパで発行され、フランス語圏で広く読まれたことは確かである。
現在、長崎では永井隆博士の名声は相変わらず高く、その顕彰運動は途絶えることはない。だが、わたし住む鹿児島ではほとんど忘れられており、若者に永井博士と言っても「知らない」という返事が返ってくる。そんなときに遠い英国で永井博士が映画化されると聞いて、ぜひ日本でも公開されることをと期待している。
ところで、わたしが住んでいる司教館の応接室に、永井博士が如己堂に彼を訪ねた一人の高校生(のちに洗礼を受け、司祭になったレデンプトール会の西本至神父)に筆で書き与えた次の書のコピーが懸けてある。文中の「天主さま」とは天の父なる神の意で、当時の日本ではこう呼ばれていた。
天主さまの頭をなでることはできません。しかし幼な子の頭をなでることはできます。それが天主さまを愛することです。
天主さまに水を飲ますことはできません。しかし旅人に水をさしあげることはできます。それが天主さまを愛することです。
天主さまを愛すると口で言うよりも、目の前にいる人に親切にすることが、天主さまをほんとうに愛する人の道です。
パウロ永井 隆
長崎 浦上