キリシタン大名 黒田官兵衛
カテゴリー カトリック時評 公開 [2014/03/10/ 00:00]
現在NHKで放映されている大河ドラマの主人公・黒田官兵衛(孝高、如水)はキリシタン(カトリック信者)であった。ドラマでは軍師としての官兵衛に焦点が当てられているが、『キリシタン武将 黒田官兵衛』の著者林洋海は、キリシタン武将の側面にも触れている。
著者の林洋海氏は、「あとがき・虚像に隠された黒田官兵衛」でこう述べている。
「黒田官兵衛については、伝えられる通史と事実がこれほど異なるのは意外だった。とくにイエズス会の年報にでてくる如水の実像は、従来の如水のイメージを覆した。また、調べていくうちに、稀代の軍師黒田如水の虚像が明らかになったのも意外だった。…三代目光之の代に黒田家の歴史を貝原益軒が編さんした『黒田家譜』には、官兵衛がキリシタンであったことや、その最後を弔う葬儀が記されていないのである…」
林氏の指摘は、キリシタン史の全てに当てはまるが、ここでは林氏の著書に従ってキリシタン大名黒田官兵衛(1546-1604)の実像に迫って見たい。
黒田官兵衛は、本能寺の変(1582)のあと、秀吉の光秀追討の戦いに一武将として参戦したが、京都に向かう途中、秀吉軍に馳せ参じたキリシタン大名・ジュスト高山右近を通じてキリスト教に出会った。しかし、このときはクルスを着けた右近の異風に興味をそそられただけだった。そして1584年、秀吉が天下をとり、大阪に築城してこれに入ったころ、高山右近の勧めに従って、大阪で洗礼を受け、シメオンの霊名を名乗った。
それから二年後の1586年、秀吉は九州征伐に乗り出し、41歳の黒田官兵衛は総軍監及び軍奉行として九州に赴いた。その頃、「官兵衛は『片手に剣、片手に十字架』を掲げるキリシタン大名として著名だったらしい。秀吉の軍に参加した主なる将軍には、小寺官兵衛、オギュスチン小西行長殿らがあり、その他の諸将の中にも聖教を奉ずる者は少なくなかった。これら諸将は、軍旗の上にはいずれも等しく十字架の徽章を用いた。官兵衛は、その前からしばしば次のように述べていた。『わたしはこのたびの戦いで成功したならば、関白がその功績によって一国の主に取り立ててくれることをデウスにおいて期待している。わたしは、その国の住民がすべてキリシタンのみから成り立つように定めており、この国の教会の権限をゆだねるために、一人の司教を呼ぶ考えでいる』」と。
官兵衛はひそかに、九州の地に、キリシタン王国を打ち立てようとしていたのである。そのためか、官兵衛殿は武将として活躍している間に、活発な伝導をおこなっていた。1587年(天正15年)3月29日の復活祭には、豊前中津で盛大な洗礼式が行われ、コンスタンチン大友義統、シモン毛利秀包、メルキオル熊谷元直らが受洗した。官兵衛は、身近に宣教師を置いて、常にその教義や知識を学んで、仲間の大名や家臣に説いていたという。
九州征伐中の1578年、秀吉は突然「宣教師追放令」を発したが、しかし、この実行は強制しないとも伝えた。これは、官兵衛の取りなしによるものといわれる。秀吉はキリシタンでる官兵衛を警戒しながらも、その影響力を受けていたようだ。そのためか、九州を平定した後、秀吉は九州の国割りを行ったが、官兵衛には、他の諸将よりも少なく、豊前六郡12万3000石が与えられたにすぎなかった。しかし、官兵衛は中津に城を築き、善政を敷くと同時にキリスト教を庇護したので、信徒は3000人に増え、教会も建てられて、中津はキリシタンの国となった。この年、官兵衛は「如水」と名乗った。旧約聖書のジョシュアから取ったものだという。
1600年、関ヶ原の天下分け目の合戦に勝利した徳川家康は、戦後処理を果断に行い、筑前30万石を官兵衛の子、長政に与えた、官兵衛には上方に領地を与えようとしたが、官兵衛はこれを断り、福岡に居を移した。引退後の如水についてパジェスの『日本耶蘇教史』は述べる。「如水が引退後の住まいを福岡に定むるや、如水はすでに政治に関係する必要もなければ、もっぱら耶蘇教の普及に一身をささげたり。これをもって耶蘇教の団体は、各地方より移住し来たり、ついに筑前はその宗教の中心となりたり」。
同年、小西行長が没した後は如水が」その後を継いでイエズス会の保護者となった。如水は1604年、伏見の藩邸で亡くなったが、イエズス会は遺体を福岡に運び、教会で盛大な葬儀を行ったという。
このように黒田官兵衛は受洗後、当時の他の大名とは異なり、側室を置かず、生涯一夫一婦を守り、戦国時代にあって殺戮を好まず、年貢や賦役を軽減して民の暮らしを助け、平和なキリシタンの国づくりに尽くした真のキリシタンであった。全盛期には、人口2,800万の日本に70万のキリシタンがいて、キリシタン文化が花開いというが、キリシタン嫌いの秀吉や家康の側近として宣教師を保護し、教会を守るために官兵衛が尽くした功績は計り知れない。