“人件費は経費ではない”
カテゴリー カトリック時評 公開 [2014/07/10/ 00:00]
去る6月4日の毎日新聞のコラム『水説』に「人件費は経費か?」という記事が載った。面白い表現だと目を通したら、「働く者を物言わぬ機会や備品と同じか、経済を動かす歯車の一つくらいにしか考えていない」風潮への反論だった。
「そうではない。人件費は経費ではない」と言う経営者として紹介されたのが、「社員の幸せのための経営」を貫く伊那食品工業株式会社の塚越寛会長である。1958年に創業され、以来48年間、連続増収増益という記録を達成したとされる会社である。この会社の経営理念には、「企業は社員の幸せを通して社会に貢献すること」とあり、それを補足する言葉として、「企業は企業のためにあるのではなく、企業で働く社員の幸せのためにある」と書かれているそうだ(『日本でいちばん大切にしたい会社』(坂本光司著・あさ出版・2008)。
労働力を経費として低く抑えて企業の利益を追求する資本主義は、大量生産・大量消費の消費主義社会にあっては利益を追求し、社会が成熟して飽和状態になれば、安い労働力を求めて海外に進出し、国内では非正規労働者制度やブラック企業など、人件費を低く抑えて会社や株主の利益を図る経営手法が取られているのが現状である。そうした中で、労働力を商品としてではなく会社の重要な目的として大事にする企業経営は、まさに教会の社会教説を地で行くものと高く評価したい気分である。だれであれ、人間は目的であって手段ではないのである。
教会の社会教説によれば、人間の労働は神の似姿に造られた人格としての人間から出るもので、他者のために他者とともに天地創造の神の協力者としての召命にこたえるものであり、労働力を金もうけのための商品とし、人件費を単なる経費として低く抑えることは労働者の人格としての尊厳を損ない、神の摂理に物申すことに他ならない。
『カトリック教会のカテキズム』は教えている。「労働において、人間はその本性に刻み込まれた能力の一部を働かせて完成する。労働の一義的な価値は労働の主体であり目的である人間自体にある。労働は人間のためであって、人間が労働のためにあるのではない。各々の人間は労働の中に自分と扶養家族の生計を立て、また人間共同体に奉仕するのでなければならない」(n.2428)。
毎日新聞の記事によると、塚越会長は昨年11月に長野県で開かれたシンポシウムで、「人件費は会社をつくる目的そのものだ。(利益と同じように)多いほどよい。それをけちって利益を出そうとする今の世の中の風潮は倫理観を失っている。儲かっているから言うのではない。社員のモチベーションが高いが故に高収益になるのです」と発言したという。同社はこの方針のもと、発展性に乏しいとみられた伝統食材の研究開発に力を注いだ。
この労働者の発意を生かすことについて、『カトリック教会のカテキズム』は言う。「各々の人間は経済的発議権(イニシアチーブ)を有し、みんなが豊かになるために貢献できるよう自分の才能を正当に使用し、そして自分の努力の正当な報酬を受ける権利を有する」(n.2429)。
さらに言えば、伊那食品工業におけるような労働者主体の経営方針については、国もこれお奨励し、推進する使命があることを忘れてはならないだろう、今の政権の経済成長戦略においては、あまりにも企業優先の施策が取られているのではないかと思われる。その点、国家の責任についての次の指摘は重要であろう。
「経済活動、ことに市場経済の活動は、制度的、法的、政治的空白の中で営まれることはできません。それどころか、市場経済は、個人の自由と私的所有の保障、そして安定した通貨と効果的な公共サービスを前提とします。こうして、労働と生産に携わる人々が自己の労働の成果を享受し、それによって有能かつ誠実に働こうと思えるように、このような諸条件の安定を保障することが国家の第一の任務となります」(ヨハネ・パウロⅡ世回勅『新しい課題』・Centesimusu annus・48)。