教皇の’14平和メッセージ再読(2)

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教皇の’14平和メッセージ再読(2)

カテゴリー カトリック時評 公開 [2014/08/10/ 00:00]

「平和の道であり基盤である兄弟愛」と題する教皇フランシスコの‘14平和メッセージの最初のテーマは、人類社会における「兄弟愛の喪失」に関するキリスト教の物語で、人祖アダムとエワの子、「カインのアベル殺害」の悲劇が語られる。

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「お前の弟は、どこにいるのか」(創世記4・9)

2.人間の兄弟愛への使命をよく理解し、兄弟愛の実現の妨げとなる障害を十分に知り、この障害を克服する方法を見いだすために、神の計画を認識し、それに導いてもらうことが不可欠です。神の計画は優れたしかたで聖書の中に示されます。

創造の初めに関する記事によれば、すべての人は共通の祖先であるアダムとエバに由来します。神はご自身の像と似姿としてこの二人を創造しました(創世記1・26参照)。この二人からカインとアベルが生まれます。この最初の家族の物語のうちに、わたしたちは社会の発生と、個人と諸民族の関係の発展を見いだします。

アベルは羊飼いで、カインは農夫です。二人の深いアイデンティティと使命は、――たとえ彼らの活動と文化、神と被造物とのかかわり方に違いがあったとしても――「兄弟となること」です。しかし、カインによるアベルの殺害は、兄弟となるという使命を根底から拒絶したことを悲惨な形で示します。二人の物語(創世記4・1-16参照)は、一致を生き、互いのことを心にかけるという、すべての人が招かれた使命を果たす困難さを明らかにします。神は、羊の群れの中から最高のものをささげたアベルを心に留めます――「主はアベルとそのささげものに目を留められたが、カインとそのささげものには目を留められなかった(創世記4・4-5)――。このことを受け入れられなかったカインは、嫉妬のゆえにアベルを殺します。こうしてカインは、相手を兄弟として認め、よい関係をもち、神の前で生き、そのために他者を心にかけて守る責任を果たすことを拒絶します。神は「お前の弟は、どこにいるのか」とカインに尋ね、彼のしたことを説明するように求めます。カインは答えて言います。「知りません。わたしは弟の番人でしょうか」(創世記4・9)。創世記が述べるとおり、その後、「カインは主の前を去り(同4・16)ました。

わたしたちは自らに問いかけなければなりません。カインが兄弟愛のきずなをないがしろにした深い理由は何だったのでしょうか。なぜカインは、弟アベルと彼を結びつける、相互の交わりのきずなをないがしろにしたのでしょうか。神ご自身が、悪に手を染めたカインを非難し、とがめます。「罪は戸口で待ち伏せて」(創世記4・7)いると。しかしカインは、神の子となって兄弟愛を生きるという、本来の使命を放棄するのです。

カインとアベルの物語は次のことを教えてくれます。兄弟愛への使命とともに、この使命を裏切る力が、人類のうちには刻まれています。日々の生活の中に存在する利己主義がこのことを示しています。利己主義は多くの戦争と不正の原因です。実際、多くの人が兄弟姉妹の手で殺されています。これらの兄弟姉妹は自分たちが兄弟姉妹でることを認めません。すなわち、互いにかかわり合い、交わり合い、与え合うために造られたことを認めないのです。(つづく)

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兄弟愛の不在を示す殺人や傷害、はたまた内乱やテロのおびただしい犠牲者のニュースが連日報じられる今日、「愛のために愛によって造られた」人類の悲劇が、人間の罪に由来するということが、あらためて思い知らされる。よく言われる通り、人類の歴史は戦争の歴史、つまり殺し合いの歴史であり、カインのアベル殺しはその始まりであった。

原罪は人間の本性を完全に失わせるものではない。しかし、人間の知恵を暗ませ、意志を弱めたことは間違いない。それ故、人類は根源的に救いを必要とする存在であることは明らかである。次回に語られるキリストの贖いによる「兄弟愛の回復」の重要性が理解されよう。