教皇の’14平和メッセージ再読(4)

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教皇の’14平和メッセージ再読(4)

カテゴリー カトリック時評 公開 [2014/09/10/ 00:00]

今回紹介するのは、「平和の基盤であり道である兄弟愛」と題する教皇フランシスコの2014年平和メッセージの中心部分であって、わたしたち一人びとりが、あらゆる場面で、あらゆる問題において、キリストによってもたらされた兄弟愛を実践することが、すなわち真の平和の建設であると強調される。

平和の基盤であり道である兄弟愛

4. 以上述べたことから、兄弟愛が平和の基盤であり道であることが容易に分かります。このことに関してわたしの先任者たちの社会回勅がたいへん助けとなります。パウロ6世の『ポプロールム・プログレシオ』やヨハネ・パウロⅡ世の『真の開発とは―人間不在の開発委から人間尊重の発展へ』による平和の定義を参照するだけで十分です。わたしたちは前者から諸民族の完全な進歩が平和の新しい呼び名であることを学びます(上記回勅87)。後者から、平和は連帯の行動であることを学びます(上記回勅39)。

パウロ6世は、個人だけでなく国家も兄弟愛の精神をもって出会わなければならないと言います。「このような相互の理解と友情の中で、そしてこの聖なる交わりの中で、人類共通の未来をともに建設する仕事に取りかからねばなりません」(上記回勅59)。この務めはまず、恵まれた条件にある諸国にかかわります。彼らの責務は人間的・超自然的な兄弟愛に根ざしており、三つの形で示されます。一つは連帯の義務です。富める国は発展途上国を助けなければなりません。二つ目は社会正義の義務です。強い国民と弱い国民の間の不平等な商取引を正しい姿に戻さなければなりません。三つ目は普遍的愛徳の義務です。すなわち、すべての人のために世界をもっと人間にふさわしいものとすることです。そこでは、すべての人が等しく与え、等しく受け、他人を犠牲にして自分だけが発展することのないようにしなければなりません(同44)。

さらに、平和が連帯の行動であることを考えるなら、兄弟愛が基本的な基盤であることがおのずと分かります。ヨハネ・パウロ2世は言います。平和は分けることができない善です。すなわち、すべての人のためにあるか、あるいはまったく存在しないかのいずれかです。平和が生活の高い質と、より人間的で持続可能な発展として達成され、享受されるには、すべての人が「共通善のために働くべきであるとする堅固な決断」(同38)をすることが必要です。すなわち、「利潤至上主義」や「権力の渇き」に導かれてはなりません。他者を搾取するのではなく、他者のために「自らをささげる」心をもって、また自らを優位に立てるために他者を踏みつけにするのではなく、「彼に仕える」心構えをもたなければなりません。「個人、民族、国家を問わず、『他者』を安価に使うことのできる労働力、物理的力をもった、そして利用価値がなくなればお払い箱とすることのできるある種の『道具』ではなく、わたしたちの『隣人』として、『助ける者』として」(同38)見なければなりません。

キリスト教的連帯は、隣人を「種々の権利を保有し、万人と変わらない基本的な平等性を備えた人格というだけでなく、御父、神の似姿を体現し、イエス・キリストの血によってあがなわれ、そして聖霊の不滅の行為のもとに置かれた生きた存在」(同40)として、すなわちもう一人の兄弟姉妹として愛することを前提とします。ヨハネ・パウロ2世は言います。「このとき、普遍的な神の父性が認識されるのであり、『御父のもとでの子どもたち』、キリストのもとではすべての人間が兄弟である、と体得されるのであり、聖霊の存在が、そしてその生命付与の行為が理解されるのですが、こうした認識や体得や理解の結果、世界を望むわたしたちの視野に、世界を解釈し変容する新しい基準が与えられ、見えてくるのです」(同)。

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平和メッセージはこのあと、貧困、経済、戦争、汚職と組織犯罪、自然保護などの問題における兄弟愛について説かれるが、ここでは割愛する。ともかく、わたしたちは各々、あらゆる分野と問題における自らの兄弟愛のあり方を熟考し、その実践を広めるよう努力しなければならない。