「女性が輝く社会」とは?

糸永真一司教のカトリック時評 > カトリック時評 > 「女性が輝く社会」とは?

「女性が輝く社会」とは?

カテゴリー カトリック時評 公開 [2014/10/10/ 00:00]

世間では“女性が輝く社会”と称して、女性大臣が増やしたり、女性の労働や社会活動を推進する計画が進んでいるが、“成長戦略”の一端であることにいささか違和感がある。そこで、政治以前の問題として“女性本来の尊厳と使命”について考えてみたい。

人間が何であり、何のために存在するかという疑問に答えるのは自然科学でもなければ政治でもない。人間の尊厳と使命を解くカギは人間を創造した神のご計画にある。その意味で、世界と人間の始まりについて物語る旧約聖書の「創世記」は重要である

創世記は人間創造について次のように述べる。神は「われわれにかたどり、われわれに似せて人を造ろう」と言われ、実際に「神はご自分にかたどって人を創造された。人を神にかたどって創造され、男と女に創造された。神は彼らを祝福して仰せになった。“産めよ、増えよ、地に満ちよ、そして地を従わせよ”」(創世記1,26-28)。

人間はまず、「神の似姿」として創造された。人間は知恵と自由を備えた人格として、神を知り、神を愛し、神に仕えてそのいのちにあずかるという、実に偉大な尊厳を持つ者として創造されたのである。この真理は、人間となった神の子、イエス・キリストによっていっそう明らかにされた。第2バチカン公会議は言う。

「実際、人間の秘義は肉となられた“みことば”(筆者注・神の子)の秘義においてでなければほんとうに明らかにはならない。事実、最初の人間アダムは未来の人間すなわち主キリストの予型であった。最後のアダムであるキリストは、父とその愛の秘義を啓示することによって、人間を人間自身に完全に示し、人間の高貴な召命を明らかにする」(現代世界憲章22)。

人間の高貴な召命とその尊厳は、男女両性に言われたことであって、その点で男性と女性の間には何らの差別もない。しかし、神が人間を男と女に造られたことは、男性と女性にはそれぞれ異なった使命(役割)があることを示している。創世記のもう一つの人間創造物語を見てみよう。

「神である主は仰せになった。“人が独りでいるのはよくない。彼にふさわしい助け手を造ろう”。そして神である主は野のあらゆる獣と空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところに連れてきて、彼がそれに何と名付けるか見ようとされた。人がそれぞれの生き物につけた名は、そのままそれらの名となった。人はすべての家畜、空の鳥、野のすべての獣のそれぞれに名をつけたが、人にふさわしい助け手は見つからなかった」(創世記3,18)。

こうして神は、男のふさわしい助け手として女を創造される。すなわち、男のあばら骨の一つから女を造り、男のところに連れてこられる。すると男は言う。「これこそ、わたしの骨からの骨、わたしの肉からの肉。男から取られたのだから、これを女と名付けよう」(創世記3,33)。そこで聖書は言う。「それ故、男は父母を離れて、妻に結ばれ、二人は一体となる」(創世記3,34)。

このようにして、神は男女が一つに結ばれる結婚の制度を造り、夫婦が互いに助け合い、補い合って共同体を形成し、子育てに励んで神に協力するように定められた。このような夫婦共同の生活の中で役割を分担して助け合う必要が明らかになる。そして実際。多くの家庭で、妻が家庭を守り、夫が外に出て働いて妻子を養うという分担が初めから人間社会に根付いてきたのである。

以上の経過から見えてくるのは、第一に、人間の生活の場はあくまで家族共同体(家庭)にあるいうことである。女性を家庭から解放し、労働や社会的地位に駆り出して成長戦略を拡大しようとする政策には大いに疑問がるというわけである。そのうえ、女性が十カ月にわたる妊娠期間を経て子を生み、授乳や育児の期間を通して子どもに母の愛情を注ぎ、文化とその根底にある信仰を伝えて、わが子の豊かな未来を育てる女性の使命を考えると、女性が主婦として、また母として、家事労働に従事することの重要性が分かる。

第二点は、したがって、無償労働(アンペイドワーク)と呼ばれる家事労働が、有償労働(ペイドワーク)と呼ばれる社会における仕事と同等あるいはそれ以上の重要な働きであることが指摘できよう。女性が社会で輝くことに反対ではないが、家庭における主婦または母として輝くことを無視又は否定することは許されない。身体的にも精神的にも、母性の輝きこそ大事にされなければならない。実際、多くの女性が家庭において輝いて来たのである。

周知のとおり、家庭は社会の生きた細胞であり、家庭の健全化は社会の健全化のバロメーターであると言われてきたが、国は家庭の不足を助ける補完的存在であり、その逆ではない。家庭を犠牲にする成長戦略はやがて国を滅ぼすおそれがある。だから、おカネのために家庭を犠牲にするのではなく、家庭の価値を守るためにおカネを適切に配分する経済・社会体制を造りのが政治の役割ではないかと思うがどうだろう。