男性が輝く社会
カテゴリー カトリック時評 公開 [2014/11/10/ 00:00]
“女性が輝く社会”について語った以上、“男性が輝く社会”についても語らなければ片手落ちになるだろう。同一の尊厳をもつ男性と女性は、異なる使命を通して助け合い、補い合う関係にある以上、男性が輝く社会なしに女性が輝く社会はあり得ないからである。
人類創造の原点に返って考察すれば、女性は男性の「助け手」として創造された(創世記2,18参照)。このことは、男性も女性の助け手になることを意味する。すなわち、「それ故、男は父母を離れて、妻に結ばれ、二人は一体となる」(創世記2,24)からである。神によって定められたこの結婚の制度は、愛によって愛のために造られた人間が、その生まれながらの根本召命である愛を生きる基本的な生き方であって、結婚のきずなによって結ばれた二人が「夫」又は「妻」として愛し合って一つになり、やがて「父」又は「母」として夫婦愛の結晶である子どもを生み育てて家庭という「愛といのち直親密な人間共同体」を造るのである。
従って、男性と女性は、夫と妻、父と母という互いに異なった使命を果たして助け合い補い合うという、相互補完的な関係にあることがその本性的な役割分担であり、したがって、男性についての考察は結婚によって始まる家族の交わりの中で、まず夫婦愛から考察されなければならない。夫婦愛は、結婚によって結ばれた二人の身も心も完全に与え合うものであって、したがって男性は「特別な形の人格的愛」(パウロ6世回勅『フマーネ・ビーテ』)を妻とともに生きなければならない。
この夫婦愛は、一旦は原罪によって歪められ、「お前(筆者注:女)は男を求め、彼はお前を支配する」(創世記3,16)と言われることになったが、キリストの贖いによって初めの愛が回復された。聖アンブロジオが、「あなた(男)は女の主人ではなく夫です。彼女はあなたの奴隷となるためではなく、あなたの妻となるために与えられました。彼女のあなたへの思いやりに報いなさい。そして彼女の愛に感謝しなさい」と言うとおりである。
夫婦愛の実りは子どもである。聖ヨハネ・パウロ2世は書いている。「妻を子どもの母として愛し、また子どもを愛することは、男性にとって自分自身の父性を理解し、全うするための自然な方法です。とりわけ父親が自分の家庭にあまり関心を抱かず、子どもの教育にあまりかかわらないのを容易に助長しがちな社会的・文化的状況では、父親の家庭内での立場や家庭のための役割は独自のものであり、誰も変わることのできない大切なものであるという信念を、社会的に回復する努力がはらわれなくてはなりません」(使徒的勧告『家庭―愛といのちのきずな』25)。
夫婦が子どもをもうけることは神の恵みである。新しいいのちの誕生において、両親は神の協力者となるのである。そこで聖ヨハネ・パウロ2世は言う。「男性は神の父性そのものを地上で表し、それを再び生きることで、家族全員が調和と一致のうちに成長するのを確かものとするように呼ばれています。すなわち彼は、母親の胎内に宿った生命に対する責任をためらうことなく担い、子どもの教育に対して妻とともにその務めを献身的に分かち合います」(同上)。なお、男性の家族共同体における務めと責任は、同居する年寄りや使用人にも広げられることは当然である。
さて、この家族内における男性の使命は、必要な変更を加えて(mutatis mutandis)社会生活に延長されなければならない。万物の創造主である神は、結婚生活を人間社会の始まりとし、基礎とされたので、家庭は社会の最初の生きた細胞であり、古来、「家庭は社会の細胞」と呼ばれてきた。「市民が生まれるのは家庭からであり、社会の存在と発展に活力を与える原理である社会的徳性(正義と愛)の最初の学校です」(同上42)。したがって男性は、社会生活において、たとえどんな地位や境遇にあっても、人々を愛してこれに仕える父性を実践しなければならない。
なお、男性にも、愛を生きる道として独身の道がキリストによって開かれたことに留意しなければならない。その顕著な現れは、カトリック教会における聖職者の独身である。彼らは肉体においては独身であるが、その精神においてはしばしば「父」と呼ばれている。つまり、彼らは霊的な父として万人を愛し、これに仕えて、すべての人間が父なる神のもとに兄弟姉妹となる「神の家族」を建設するのである。
要するに、男性が輝く社会とは、すべての男性が女性を尊厳ある人格としてこれを敬い愛し、協力して共同体を育てる「父性」を豊かに発揮する社会であって、それは女性を輝かす社会でもあることを意味する。したがって社会(国や政治も)は、「肉の欲、目の欲、生活の驕り」(1ヨハネ2,16)を追求する成長戦略ではなく、すべての家庭を尊重してこれを支援する「補完的」使命に徹しなければならない。「公的機関は、家庭が人間的な在り方で自分の責任を担うために必要なすべての援助(経済的・社会的・教育的・政治的・文化的援助)を保証するよう可能な限り力を尽くさなければなりません」(使徒的勧告『家庭―愛といのちのきずな』45)。