戦後70年、信教の自由は

戦後70年、信教の自由は

カテゴリー カトリック時評 公開 [2015/01/25/ 00:00]

1945年の「日本敗戦」を機に、日本という国は生まれ変わった。その実体は、終戦の翌年、すなわち1946年(昭和21年)11月3日に公布された「日本国憲法」によって明示された通りである。

日本国のこの生まれ変わりの中で、わたしがキリスト者としてとくに注目しているのは「信教の自由」の宣言である。憲法第20条に、「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する」とある。保障されたこの信教の自由は、戦後70年の間にどのように理解され、現実化されたのか、戦後70周年を機に検討することは有意義ではないかと思う。

1-信教の自由とは何か

新憲法発布の後、多くの日本人が自由を謳歌したが、当時、自由の履き違えもまた県念されたことを思い出す。何でもかんでも自由だという、真の自由と放縦とを履き違える危険を心配したのである。信教の自由についても、その自由を履き違えて、宗教は信じなくても自由だというような、間違った考えも実際にあったからである。そこで今、信教の自由とは何か、もう一遍、検討してみよう。教会の教えはこうである。

「信教の自由は人間の本性に根ざす真理の探究の現れでもあり、人格の不可侵の権利です」(『カトリック教会の教え』第3部第4章)。人間の本質は、真理を知り、真理を愛して喜びに至る。換言すれば、神を知り、神を愛して、永遠の喜びに至る存在である。人間は生まれながらにして宗教的存在なのである。したがって、「人間が要求する信教の自由は、神を礼拝するという自分の義務を果たすにあたって、市民社会における一切の強制からの免除に関するものである」(第2バチカン公会議『信教の自由に関する教令』1)。

権利と義務は同一の事柄における表裏一体のものであり、権利のある所に義務があり、義務のある所に権利がある。したがって、わたしなりに信教の自由を表現するとすれば、「信教の自由とは、神を信じる義務を、外部からの一切の妨害や強制なしに行使する社会的権利である」と言い換えてよい。すなわち、信教の自由とは神を信じる権利・義務であって、神を信じなくてもよいというような曖昧なものではない。

2-戦後、信教の自由は守られたか

確かに、憲法に保障された信教の自由は、公的には大体において守られてきたと言ってよい。完全だと言い難いのは、信教の自由に関する訴訟事件は皆無ではなかったからである。それでも、わたしたちキリスト者にとっては、戦前のことを考えれば、官憲の監視や圧迫なしに自由を満喫した70年であった。

ただし、民間においては必ずしも十分に自由であったとは言い切れない。なぜなら、たとえば、キリスト教への偏見は依然として巷間に残っていたからである。絶対神を信じる一神教よりは多神教である日本の宗教が自由で優れているなどとうそぶく思想家や政治家さえも存在した。民間では、結婚差別を実感したキリスト者も少なくない。さらに、あの悲惨なオーム真理教事件は、宗教への誤解と警戒を増幅した。宗教は危険な存在であるという警戒感が世間に満ちたのである。

加えて、日本社会が経済発展を遂げ、世界第2位の経済大国にのし上がったころから、物質主義、金銭至上主義、さらには快楽主義が町にはびこり、その悪影響を受けて信仰を敬遠し、あるいは放棄する例も決してなかったとは言い難い。ヨハネは「この世にある欲望は、肉の欲、目の欲、生活の驕りである」(1ヨハネ2,16)と呼んでいるが、まさにその通りの誘惑が日本人の心に押し寄せているのである。

戦後70年、信教の自由を脅かす世間の、あるいは内心の誘惑から身を守り、真の信教の自由を享受すべく、いっそうの警戒が必要であろう。

3-これからも信教の社会的自由は守られるか

最後に、信教の自由を保障するという国是は永久に守られるのであろうか。この問題には一抹の怪しい雲行きが心配されると言ってもよいのではないか。国会の絶対多数を誇示する自民党政府の「憲法改正草案」によれば、国民の基本的人権のよりどころとする「人類普遍の原理」とか「普遍的な政治道徳の法則」とかいう文言が前文から削除され、また、憲法が国民に保障する基本的人権が、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であり、侵すことのできない永久の権利として国民に信託されたものであるとする憲法第97条が全文削除されている。削除の理由として、これらの文言がキリスト教に由来するからというものであって、人間の基本的人権は神の恵みではなく、自然の恵みであると解説されているという。自然の恵みはすなわち神の恵みであるから、人間の基本的権利を神の恵みではないとする以上、それは国家権力など、実力を有する人間の恵みであると言い変えたことにならざるを得ない。つまりは、基本的人権は国益と称する「国家エゴ」によってどうにでも変えられるという布石ではないかと懸念されるゆえんである。自民党の憲法改正の理念がいずこにあるか、警戒を怠ってはならないいという次第である。



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