カトリック時評

カトリック時評

来日した、ただ一人の教皇の列福

公開 [2011/05/15/ 00:00]

カトリック時評2011

第264代教皇ヨハネ・パウロⅡ世(在位1978―2005)は、予定通り、5月1日(日)、サンピエトロ広場で教皇ベネディクト16世により「福者」の列に加えられた。こうして、ヨハネ・パウロⅡ世は全世界の祭…

自殺防止にはキリスト教が一番

公開 [2011/05/01/ 00:00]

カトリック時評2011

東日本大震災はあまりにも衝撃的であった。日本人がひたすら信じてきた「成長神話」も、それを支えてきた科学技術も、自然の猛威の前に無力を証明してしまった。この惨事を目のあたりにして、山積していた日本の課題…

試練に耐えて、頑張れ日本

公開 [2011/04/15/ 00:00]

カトリック時評2011

大きな漁船が軽々と陸地に運ばれ、車や民家が木の葉のように押し流される光景をテレビで見て思わず息をのんだ。3月11日の東日本大震災である。震災によって引き起こされた福島第一原発の事故は放射能汚染の恐怖を…

もしや“キリスト教ブーム”の再来か

公開 [2011/04/01/ 00:00]

カトリック時評2011

またしても一つの新聞記事が今回のテーマである。さる2月21日の朝日新聞文化欄の記事のタイトルは、“読まれるキリスト教”。「出版界で、キリスト教が静かなブームになっている。昨春以降、キリスト教や聖書を特…

“小西行長 見直し進む”

公開 [2011/03/15/ 16:14]

カトリック時評2011

いささか旧聞に属するが、さる1月14日の朝日新聞文化欄に表記の一文が載った。詳しくは、「卑劣のイメージのキリシタン大名 小西行長 見直し進む」であり、小見出しには「寺社弾圧 尾ひれつき伝承」とある。 …

“欲望は権利ではない”

公開 [2011/03/01/ 00:00]

カトリック時評2011

“欲望は権利ではない”。ある雑誌の書評で見たこの表現に、わたしは一瞬衝撃を受けた。はじめて見た表現だからであり、しかも、真実を突いていたからである。そして、単なる欲望を権利ででもあるかのように振る舞う…

「助けての言えない」閉ざされた社会

公開 [2011/02/15/ 00:00]

カトリック時評2011

「2009年10月7日のクローズアップ現代『“助けて”と言えない~いま30代に何が~』の放送後、私たち取材班を待っていたのは予想外の反響の広がりであった」。「他人事ではない」「明日はわが身」といった多…

日本26聖人は、なぜ殺されたか

公開 [2011/02/01/ 00:00]

カトリック時評2011

2月5日、世界中の教会は長崎で殉教した日本26聖人を記念する。わたしは長崎時代、毎年、西坂の殉教地で共同ミサにあずかり、26聖人を偲んだものだが、鹿児島に来てからはそれもできなくなった。今年はネットの…

無縁社会から共同社会へ

公開 [2011/01/15/ 00:00]

カトリック時評2011

過ぎた2010年を振り返って、一番心に残っているのは社会生活の根幹にかかわる「無縁社会」の問題である。昨年1月31日のNHK/BSテレビ番組「無縁社会~“無縁死”3万2千人の衝撃」は文字通り衝撃的であ…

「地上の平和」の原型は「キリストの平和」

公開 [2011/01/01/ 00:00]

カトリック時評2011

正月元旦は教会にとっては主の降誕祭の8日目であり、特に母なる聖マリアを記念する祝日であるが、同時に、この日は教会が定めた「世界平和の日」である。 『カトリック教会のカテキズム』は地上の平和につ…

“御言葉は人となり、われらのうちに住み給へり“

公開 [2010/12/15/ 00:00]

カトリック時評2010

物心がついた幼いころ、家族とともに朝昼晩唱えていた「お告げの祈り」の一節で、正確には、「しかして御言葉は人となり給い、われらのうちに住み給へり」である。今は公語文になっている。 さて、キリストの降誕祭…

「信教の自由」の前提は「信教の権利と義務」

公開 [2010/12/01/ 00:00]

カトリック時評2010

世界人権デーにちなんで取り上げたいもう一つの論点は「信教の自由」である。なぜなら、憲法20条にも保障された「信教の自由」とは優れてキリスト教的概念であるが、世間では必ずしもそのように受け取られていない…

基本的人権の根拠と目的は何か

公開 [2010/11/15/ 00:00]

カトリック時評2010

国際連合(国連)は1948年12月10日、30カ条から成る「世界人権宣言」を総会で採択したが、これを記念して、国連第6回総会(1950年)は12月10日を「世界人権デー」とした。わが国ではこの日に先立…

経済成長は多くの人を不幸にする?

公開 [2010/11/01/ 00:00]

カトリック時評2010

世界第二位の経済大国を誇ってきた日本で、どうして貧富の格差が拡大し、愛の絆をズタズタにする無縁社会が生まれたのか。相変わらず、世論も政権も経済成長、景気回復の大合唱だが、もしかして経済成長は多くの人を…

正義とは何か

公開 [2010/10/15/ 00:00]

カトリック時評2010

このところ、ハーバード大学のマイケル・サンデル教授の白熱教室の評判が高い。その日本における講義の一端をテレビで見たが、なるほどと思った。教授の著書『これからの「正義」の話をしよう』も30万部を超えるベ…

教会が求めるのは神の国であって、地上の国ではない

公開 [2010/10/01/ 00:00]

カトリック時評2010

来月11月21日(日)は教会の典礼歴年の最終日曜日で、今年の「王たるキリスト」の祭日である。キリストは王であり、その支配は全世界に及ぶことを記念するものであるが、その支配はこの世のものではなく、神の国…

良心の延長線上にあるキリスト教

公開 [2010/09/15/ 00:00]

カトリック時評2010

先日のカトリック新聞にも、わが国におけるカトリック人口の停滞についての意見が見られた。その意見とは別に、一つの観点をここに提起したい。 それは、キリスト教への誤解がいまだに根深いという点である。…

所在不明高齢者を生む個人主義社会

公開 [2010/09/01/ 00:00]

カトリック時評2010

このところ、所在不明高齢者の問題がにわかにクローズアップされてきた。調査が進むにつれ、ますます深刻な事態になっている。これは、直接的には家族や役所の問題であるが、なぜこんな問題が起こったのか、そもそも…

人は政治だけで生きるのではない

公開 [2010/08/15/ 00:00]

カトリック時評2010

8月15日の終戦記念日を迎えるにあたり、65年前のあの日を複雑な思いで思い出している。戦争終結を告げる“玉音放送”のことを聞いたのは、避難先の長崎郊外の修道院であったが、戦争に負けた悔しさと同時に、信…

排他主義から包括主義への転換

公開 [2010/08/01/ 00:00]

カトリック時評2010

1962年10月11日にバチカンの聖ペトロ大聖堂で開幕し、4年後の1965年12月4日に閉幕した「第2バチカン公会議」は、教会自身と世界全体に大きな影響と変化をもたらしたが、わが国ではそれほどでもなか…