カトリック時評

カトリック時評

信教の自由に関する宣言

公開 [2012/03/15/ 00:00]

カトリック時評2012

第2バチカン公会議(1962-65)は、『信教の自由に関する宣言』(Declaratio de libertate religiosa)を公布した。副題には、「宗教問題における社会的、市民的自由に対す…

人類に奉仕する教会

公開 [2012/03/01/ 00:00]

カトリック時評2012

第2バチカン公会議が公布した現代世界憲章は、第4章において「現代世界における教会の使命」を総括し、現代世界との交流と援助に関する若干の一般原則を明らかにしている。これは、「現代世界にとって教会とは何か…

人類に語りかける教会(現代世界憲章序文)

公開 [2012/02/15/ 00:00]

カトリック時評2012

第2バチカン公会議(1962-65)が公布した16の公文書のうち、『現代世界の中の教会に関する司牧憲章 Constitutio pastoralis de Ecclesia in mundo huju…

「神聖にして侵すべからず」

公開 [2012/02/01/ 00:00]

カトリック時評2012

教皇の平和の日メッセージを読み、人のいのちの尊厳を考えながら世界を眺めると、戦争やテロ、デモや弾圧、中絶や虐待、他殺や自殺など、そこは人命の軽視や侵害に満ちていた。そして標記のフレーズが脳裏に浮かんだ…

教皇の「世界平和の日」メッセージから

公開 [2012/01/15/ 00:00]

カトリック時評2012

毎年1月1日はカトリック教会が定めた「世界平和の日」である。この日、教皇ベネディクト16世は恒例の平和メッセージを公表した。それによれば、教皇は「若者の正義と平和の教育」を強調し奨励している。 …

あらためて人生の展望を開く

公開 [2012/01/01/ 00:00]

カトリック時評2012

“一年の計は元旦にあり”とは、子供のころから正月になるとよく聞かされた諺(ことわざ)である。明代の中国で編纂された『月令広義』に由来するもので、“一日の計は晨(あした=朝)にあり”と同様、何事も初めの…

2011年の“時のしるし”

公開 [2011/12/15/ 00:00]

カトリック時評2011

間もなく年末を迎える2011年を振り返って感じるのは、歴史上、特筆すべき出来事がいくつも起こった年であるということではないだろうか。それらの出来事が示す「時のしるし」を読み取ることが大切である。以下、…

悔い改めて「愛」を待つ季節

公開 [2011/12/01/ 00:00]

カトリック時評2011

カトリック教会ではクリスマスまでの4週間を“待降節”としている。それは神の子キリストの来臨を準備して待つ季節で、それは、「悔い改めて神の愛を待つ季節」である。キリストは「人間となった神の愛」であり、受…

“食といのち”の対談記事を読んで

公開 [2011/11/15/ 00:00]

カトリック時評2011

“食といのち――ヒトが人となるために”というタイトルの示唆に富む連続対談が文芸春秋11月号に掲載された。その中で、宗教は「なぜ」(WHY)を問い、科学は「いかに、どのように」(HOW)を問うという…

“強欲資本主義の象徴”について

公開 [2011/11/01/ 00:00]

カトリック時評2011

“その街(ニュウーヨーク・ウォール街)を「強欲資本主義の象徴」と非難する若者らのデモが広がっている。「ウォール街を占拠せよ」が合言葉。貧富の格差への怒りはネットで増殖し、全米に飛び火している” …

いまや所得格差是正の好機だが

公開 [2011/10/15/ 00:00]

カトリック時評2011

財政正常化の問題に加え、復興財源をどうするかについて与野党で論議が続いている。ねじれ国会の中でどのような結論が出るかまだわからないが、資本主義経済の中で生じた所得格差を是正するよい機会であることをここ…

キリスト教の「福音」とは

公開 [2011/10/01/ 00:00]

カトリック時評2011

キリスト教の福音とは、「信じる人を救う神の力」である。その福音にあずかって救われるためには、神に立ち返って福音を信じなければならない。洗礼を受けることはその証である。そして、すべての人が救いに招かれて…

iPSから生殖細胞、是か非か

公開 [2011/09/15/ 00:00]

カトリック時評2011

さる7月22日の朝日新聞の『耕論』欄に、「iPSから生殖細胞」と題して、「あらゆる細胞や組織になりうるiPS細胞から、ヒトの生殖細胞(精子や卵子など)をつくる研究が始まっている」として、3人の識者の意…

問われる日本人の教養

公開 [2011/09/01/ 00:00]

カトリック時評2011

「今、学者ですら教養を失いつつあります」と、文芸春秋8月号の対談記事で、ある対談者が慨嘆していた。特に日本の各界指導者たちの劣化を指摘しているのである。しかし、そこでいわれる教養の意味は必ずしも明確で…

福島第一原発事故の教訓

公開 [2011/08/15/ 00:00]

カトリック時評2011

福島第一原発の事故により、今年の原爆記念日には特別の思いがある。核エネルギーの軍事利用ばかりでなく、その平和利用についても疑問が投げかけられたからである。その疑問とは何か、考えてみよう 。 「原…

世界の中の日本になる

公開 [2011/08/01/ 00:00]

カトリック時評2011

東日本大震災は日本人にとって一つのパラダイム転換の時となった。あの時から、世界の中の日本であることを、新たに意識し、自覚したのではなかったか。たとえば、世界一を目指した日本が、実は世界と同等のものでし…

国家のイメージ――「政治共同体」

公開 [2011/07/15/ 00:00]

カトリック時評2011

東日本大震災を「国難」(National Crisis)と捉える議論が盛んである。そして、この国難にどう取り組み、どうこれを乗り越えるかが問われている。つまり、国難に際しては国の在り方自体が問われるこ…

キリスト教と諸宗教との間

公開 [2011/07/01/ 00:00]

カトリック時評2011

宗教や宗派の種類や数について正確に知っている人がいるだろうか。手元にある文化庁編『宗教年鑑』(平成14年版)を見てみると、わが国の宗教は,神道系、仏教系、キリスト教系、そして諸教を含めて宗教法人数は合…

東日本大震災と「いのち」の神秘

公開 [2011/06/15/ 00:00]

カトリック時評2011

物資文明の豊かさを享受してきた日本人は、突如襲ってきた大震災によって人間のはかなさをあらためて思い知らされた。しかし同時に、人間のいのちをいとおしむ心もまた強く意識されたのではないか。そこで、いのちと…

メディアの霊性とモラルを求めて

公開 [2011/06/01/ 00:00]

カトリック時評2011

このところ、中東のアラブ諸国における民主化運動にソーシャル・メディアの果たす力が見直される一方、中国におけるメディア規制のニュースも人々の注目を集めている。わが国でも、東日本大震災時におけるソーシャル…