折々の想い

折々の想い

教会における信徒の品位と使命

公開 [2012/03/10/ 00:00]

第2バチカン公会議(1962-65)は教会憲章第4章において、教会を構成する「信徒」の地位と役割の見直しを行なって、聖職者や修道者に比べて「信徒は二流の信者である」という誤解を解き、信徒本来の…

教会は「キリストの秘跡」

公開 [2012/02/25/ 00:00]

周知の通り、第2バチカン公会議は、異端排斥や教義宣言を目的とした過去20回の公会議とは違って、「教会の本性と使命」を明らかにすることを目的とする、「司牧的な」公会議であった。その成果は特に「教会に関す…

教会における「司教職」について

公開 [2012/02/10/ 00:00]

わたしは先月、司教叙階42周年を迎えた。今は引退の身だが、第2バチカン公会議終了後に司教に叙階されたので、公会議が「司教職」いついて何を教えたか、その開幕50周年でもあるので、あらためて振り返ってみた…

祈りに込められた「教会一致」への思い

公開 [2012/01/25/ 00:00]

前回は、「キリスト教一致祈祷週間」とその背景について述べたが、それに続いて、カトリック教会が典礼の中で祈っている「教会一致を願う祈り」について二つの例を取り上げて見たい。聖金曜日・主の受難の典礼の中の…

キリスト教一致祈祷週間とその背景

公開 [2012/01/10/ 00:00]

キリスト教界では毎年、1月18日から25日までの一週間を「キリスト教一致祈祷週間」と定め、世界各地で実施している。同じキリストを唯一の救い主と信じながら分裂している教会の一致回復を求めるでテーマとプロ…

「信仰年」告示の意味を考える

公開 [2011/12/25/ 00:00]

『カトリック教会のカテキズム』教皇ベネディクト16世は、さる10月11日付の自発教令(Motu Proprio)『ポルタ・フィデイ・Porta Fidei』(信仰の門)によって、来年、すなわち2012…

外に立って戸をたたくキリスト

公開 [2011/12/10/ 00:00]

イギリスのある大学に、戸口に立って戸をたたくキリストの絵が掲げられ--ているという話を、だいぶ前だが、何かで読んだ記憶がある。そういえば、そんな図柄の御絵もあった。待降節に当たって、そんな絵の話が思い…

教会の典礼暦年について

公開 [2011/11/25/ 00:00]

カトリック教会には、一般暦のほかに「典礼暦」というもう一つの暦がある。典礼歴は、キリストの死と復活の神秘を頂点として、キリストの救いの神秘を一年周期で記念するもので「典礼暦年」(Annus litur…

旧約聖書と新約聖書との関係

公開 [2011/11/10/ 00:00]

日本のカトリック教会は、信者たちが聖書を大切にし、神の言葉によって生きるようにと、11月の第三日曜日から一週間を「カトリック聖書週間」と定めている。今年は20日から27日まで実施される。今年は新しいカ…

初代主任司祭のころ

公開 [2011/10/25/ 00:00]

8月のある日、長崎の知り合いの信者からEメールがあり、八幡町教会は来年9月に創立50周年を迎えるが、すでに記念行事実行委員会が立ちあげられて準備が始まった。初代主任司祭であるわたしにもぜひ出席してほし…

海外で活動する日本人宣教者

公開 [2011/10/11/ 11:11]

過日、「日本カトリック海外宣教者を支援する会」の機関紙『きずな』116号をいただいた。紙上、“宣教者からのお便り”の中に、鹿児島出身で、一時わが司教館で勤務したことのあるシスター有薗順子(ショファイユ…

日本宣教の原点を考える

公開 [2011/09/25/ 00:00]

9月になると、わたしは決まって聖フランシスコ・ザビエル(1506-1552)が薩摩の領主・島津貴久(1514-1571)の許可を得てわが国における宣教を公式に開始したことを思い出す。そこには、宣教地の…

新しい合本聖書の出版を祝して

公開 [2011/09/10/ 00:00]

聖書

さる8月15日、フランシスコ会聖書研究所訳注の新しい合本聖書がサン・パウロから出版された。長いあいだ待たれた原文校訂による註解付き口語訳カトリック聖書である。 フランシスコ会聖書研究所は、「聖書…

失われる結婚と家庭の霊性

公開 [2011/08/25/ 00:00]

6月末に公表された国勢調査の速報値によると、35~39歳の男性の3人に1人が未婚で、全国の人口の31%が一人暮らしだという。生涯未婚や離婚が増え、それに少子化とくれば、結婚と家庭の意義をあらためて見直…

8月15日の三つの思い出

公開 [2011/08/10/ 00:00]

8月15日はわが人生にとってはいくつもの思い出が詰った日である。子どものころは「聖母被昇天の祝日」、若いころには「大平戦争敗戦の日」、そして鹿児島に赴任してからは「ザビエルの鹿児島上陸の日」で…

要理教育は教会の主たる任務

公開 [2011/07/25/ 00:00]

先日、平戸市の紐差教会を郷里とする神父たちの集まりがあり、わたしも二年ぶりに参加した。15人中13人が集まり、同郷のよしみで和やかな歓談のひと時を過ごしたのであるが、子供のカテケージスも話題に上った。…

キリスト教信仰の社会的展望

公開 [2011/07/10/ 00:00]

カトリシズム

キリスト教とは何か、をあらためて問うとき、キリスト教信仰の共同体的、社会的展望に触れないわけにはいかない。単なる個人の救いではなく、人類全体の根源的な一致回復こそがキリスト教の本質的救いであり、教会の…

「歴史のイエス」と「信仰のキリスト」

公開 [2011/06/25/ 12:58]

過日、『史的イエスとナザレのイエス』(上智大学キリスト教文化研究所編)を寄贈していただいた。教皇ベネディクト16世ヨゼフ・ラッツィンガー著の『ナザレのイエス』についての論議であり、「史的イエス…

あらためて、キリスト教とは何か

公開 [2011/06/10/ 00:00]

キリスト教と言えば聖書、あるいは教会というのが常識である。『Pen』誌の『キリスト教とは何か』を見る限り、その感を強くする。そこでは、聖書や教会が美しい写真や名画でキリスト教が紹介されている。しかし、…

“大いなる旅路の旅仲間”

公開 [2011/05/25/ 00:00]

「わたしたちは、信仰に基づいた共同体を築かねばなりません。…信仰の交わりを求めてください。わたしたちは、あの大いなる旅路をともに歩み続けようとしている旅の仲間ですから」。これは、先日、わたしの読書会で…